〜ネイティブ・オキナワンとの出会い:その2〜

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歴史文化

初回投稿日:2015.08.15
 最終更新日:2024.04.09

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青い空
 
見晴らしのよい丘の上に立つ工房の空気は、青い空に少し近いせいか、普段はちょっとブルーグレーな感じだけど、ゴールデンウィークや夏休みになると、子どもたちの歓声で黄色く塗りつぶされる。
 
沖縄本島南部、八重瀬(やえせ)町にある緑の芝生に囲まれたその工房には「ラッキー」という、飼い犬にでもつけられていそうな名前がつけられている。「楽しい樹」、漢字で記すとそういうことになる工房楽樹。
 
工房を共同運営している4人の木工作家の一人が古我知毅さん。木工作家、家具職人、大工、環境教育家。さまざまな肩書きを持っている。前回のコラムで「あたりまえのように風の歌を聴き、樹々の呼吸さえも感じられそうな人」と紹介させていただいたこの「先生」がこの世に生を受けたのは、沖縄戦から13年経った1958年の5月4日のことだった。
 
アメリカ軍の基地の街、金武(きん)町で生まれ、3歳頃までそこで過ごしたという古我知さんの幼少期の思い出はアメリカの兵隊からチョコレートをもらったクリスマスと家の外を裸で遊びまわっていた日々だという。

大根を干している
 
4歳頃、那覇市に引っ越してからは、チャンバラごっこ(侍の真似をして刀を振り回す昔遊び)、パッチー(厚い紙でできたメンコと呼ばれるカードのようなもので競い合う昔遊び)、おにごっこ(たぶん注釈はいらないでしょう)にもっぱら勤しんでいたそうだ。
 
「あるものを使って遊んでたよ。だって、何もない時代だったからねー」
 
今でこそ住宅が密集する那覇市だが、その頃は二階建ての家もほとんどなく、そこらじゅうが空き地や畑で子どもたちの遊び場は無限大だったと古我知さんは振り返る。

建物の外壁
 
ー あるものでつくる ー
 
古我知さんのものづくりの原点はこのときの遊びの日々によって育まれたのだろうか。
 
小学生になってから、「巨人の星」(一世を風靡したスーパーメジャーな昭和のアニメ)に釘付けになり、サッカーの釜本選手に夢中になった。そして、高校を卒業するまではスポーツひとすじだったという古我知少年に、変化が訪れたのは大学受験に失敗して一浪していた時のことだったそうだ。

布を干している
 
「何をやりたいか見つからなかった」
 
受験勉強にも身が入らなくなった古我知さん。ある日、ひとつの名案が浮かんだ。
 
「そうだ、大学に通うつもりだった4年間で好きなことをしよう」
 
自称「古我知大学」への入学を決意した。アルバイトでお金を稼ぎ、貯まったお金で旅に出た。

小舟
 
「今思えば、旅が原点かな」
 
物と人との関係で成り立っていたこれまでの人生になかったものに目覚めたという古我知さん。
 
足を止めて、身体を休めたときにやさしく吹き抜けたそよ風の感触。ふとした瞬間に視界に入ってきた花の色。耳に心地よく響く虫のなき声。

茶畑
 
子どもの頃、虫取り網を振り回して蝉や蝶を追いかけ回したときに受け入れてくれた自然とは違う二十歳の自然との触れ合い。ヒッチハイクと野宿の旅で知った、自然の豊かさだった。
 
九州、四国、中国地方、そして関西、関東、東北へ。日本中を旅したなかで飛び抜けて印象的だったのは北海道だったという。
 
「とにかく広いでしょ。それに風景がまるで違って見えた」

廃品
 
その後はインド、ネパールへと旅に出た。
 
帰国した青年は、今度は東京で暮らしていた兄(古我知浩さん、沖縄リサイクル運動市民の会代表)を訪ねた。そのときに出会った同郷の先輩たちから受けた影響は古我知青年の背骨になった。
 
「最初の旅のテーマが自然との出会いだったとしたら、このときのテーマは『人』だったね。今までの人脈だったら会えなかっただろう人にも会えたし、行けない場所にも行くことができたから」

道端の花
 
その当時、沖縄県人が集まる場所が東京にはいくつかあった。沖縄の自立を熱っぽく語る人、一旗揚げようと意気込んでいる人、ヒッピームーブメントの申し子のような人、故郷を追われるように逃げてきた人や酒に救いを求める人。いろんな人が集まっていたそうだ。
 
古我知青年が世話になったのは、「ゆうなの会」という県人会組織。そこで、沖縄ブームの立役者の一人である上地哲さん(わしたショップ銀座店の初代店長)を始め、錚々たる顔ぶれの先輩たちと出会った。

農業農村整備事業の看板
 
「世界が広がった」
 
たとえば、カウンターカルチャーの世界ではいまなお尊敬を集め続けている山尾三省さんとも、屋久島で出会うことができたという。
 
「こんどはアフリカに旅に出たいと考えていたが、東京で沖縄に再会したことで、旅に出る必要を感じなくなったんです」
 
本土での沖縄との出会いが古我知さんを変えた。 (続く)

沖縄CLIP編集部

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