沖縄の骨董をつなぐあじまー《陶宝堂》
沖縄の骨董をつなぐあじまー《陶宝堂》
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歴史文化
放送日:2025.06.02 ~2025.06.06
初回投稿日:2025.06.10
最終更新日:2025.06.10
最終更新日:2025.06.10
気がつけば骨董が仕事になって40年
那覇市の壺屋で骨董と工芸品店の二店舗を営む岐阜県出身の金子康一さんは、復帰前から何度も沖縄を訪れていました。
レコード店を営んでいたこともあり、当時、音楽が盛んだったコザ(沖縄市)を拠点に滞在していました。
40年ほど前、1年ほど沖縄で長期滞在してみようと思い立ち、軽い気持ちで浦添市の友人が営む軍関係の払い下げ品店を手伝うことになります。
「当時は軍から良い品物が出ていたんですよ。電気スタンドや家具類、特にヨーロッパ製の家具なんかは上質なものが多かった。将校さんたちが持ち込むものは本当に価値がありました」
1年の滞在のつもりだった金子さんですが、友人から店を引き継いでくれないかと打診され、「沖縄が好きだし、やってみるか!」と引き受けることにしました。
店を引き継いだ当初は売上の小さな店でした。そのうち金子さんは、軍の払い下げ品だけでなく、沖縄の古いものに魅力を感じるようになりました。
骨董品を扱う陶宝堂
確かな目を持つことが信用につながる
金子さんは、沖縄の民家の軒先にあるような甕や台所道具、農具などに目をつけました。仕入れては修理をして販売するようになりました。
当時は骨董品を扱う店はあっても、庶民の古道具を売る店はなく、「こんなもの売れるのかな?」と金子さんも半信半疑でしたが、店頭に並べてみたところ沖縄の人が買って帰りました。
この時期に、仕入れを担当してくれる人との出会いがありました。その人は、お金がない中でも誠実に取り引きをしてくれて、焼き物や古い家具の見分け方を一から十まで教えてくれました。
さらに現代陶芸に詳しい収集家からは、金城次郎など沖縄を代表する作家の作品について多くを学びました。
「商売は目利きがすべて」と金子さんは言います。仕入れた品物を修理して磨き、そのものの意味や背景を学んで売るという商売のスタイルを確立していきました。
「骨董はね、安く叩いて買えるけど、それをやると後々恥をかくんです。適正価格での取り引きを心がけてきましたよ。1000円で買ったものを1万円で売ってたよと言われたら、こんな恥ずかしいことはないですからね」
利益の追求だけでなく、信頼関係を重視する商売観があったからこその40年です。
欠けた器を丁寧に修理する金子さん
骨董店のすぐ隣、焼き物や絵画などの工芸品を扱う陶宝堂
沖縄に骨董文化を広めたい
沖縄の古いものを扱うようになってから、店舗を小禄に移転しました。最初の3年間はなかなか軌道に乗らず、資金も底をついてしまい、お母様の援助で乗り切ったこともあったそうです。
その後、お客さんとの関係を深めるために、コーヒーを提供するサービスを思いつきます。店内に自らカウンターを作り、最初は一杯100円で提供していました。後に友人が焙煎した豆を使って丁寧にハンドドリップするなど、内容も充実させ、店は憩いの場へと変わっていきました。
「そのうち、ふらっと立ち寄って、コーヒーを飲みながら話をして、骨董を見ていくお客さんが増えたんですよ。やがて那覇のあの店で変わったものが手に入るという評判が広まって、県外からの買い手も現れるようになりましたね」
爽やかな笑顔が素敵な金子康一さん
琉球王国時代の骨董やアンティークの器、漆などが所狭しと並ぶ骨董店
人間国宝の品や美術品がずらりと並ぶ工芸品店
2024年に亡くなった陶芸家島武己さんのシーサー
小橋川仁王(永昌)作陶の作品。大正初期から昭和初期にかけての琉球古典焼(右)と戦後のゆしびん
琉球王国時代、野弁当で使われた器
沖縄の焼き物のこれまでとこれから
「沖縄の骨董は、戦争で多くが失われたため、本土と比べて市場が限られています。ただし、戦前に県外に流出した沖縄の焼き物や工芸品が、逆輸入される形で戻ってくることがあります。
中でも印象的だったのは、かつて本土に渡っていた壺屋の琉球古典焼です。戦前の大正から昭和初期に作られた壺や器は、戦火で沖縄にはほとんど残っていませんでしたが、疎開や移住で本土に渡っていたものが戻ってきたことで市場に出回るようになったんです。
『これが欲しい、入ったら買うから』と、どんどん予約が入るほどの勢いで人気となって、ようやく商売も安定してきた感じですね」
これは沖縄の文化が本土復帰後に再評価されたことを象徴していると金子さんは言います。
壺屋焼が注目された背景には、2代目新垣栄三郎、小橋川永昌、そして金城次郎という「壺屋の3人衆」と呼ばれる名工たちの存在も大きく、人間国宝となった金城次郎の作品は特に人気を博しました。
現在も焼き物の売れ行きは好調で、湯飲みや茶碗、小皿などの器は、品物が足りないほどという状況が続いています。
「今はみんな作ることに追われている気がしますが、職人さんにはやっぱり、自分の作品となる良いものを作ってもらいたいですね」と金子さんは語ります。
壺屋という地域を支えてきた一人としての切実な思いが込められています。
現在も琉球古典焼を作陶する小橋川製陶所・仁王窯の池野幸雄さん。「抱瓶やカラカラなど、先人たちの手がけた仕事はしっかり繋げていきたいですね」
池野さんは龍頭を作陶していました
沖縄の骨董やアンティークを扱う20世紀ハイツの須藤健太さんと骨董業界を盛り上げたいと話します
沖縄の文化を繋いでいくために
金子さんの定義では、真の骨董品とは琉球王国時代の品物が理想ですが、そうした逸品は極めて限られており、できるだけ戦前の品を探して、県外での仕入れにも力を入れています。
「沖縄のものは沖縄に戻してあげたいじゃないですか」と金子さんは言います。
80歳を超えた現在も収集活動とともに、骨董の普及にも取り組んでいます。那覇市文化協会古美術の骨董部会長として年4回のアンティーク市を主催していますが、高齢化と後継者不足は深刻で、会場費に対して参加費が満たない状況の中、自腹を切って続けています。
沖縄の骨董業界の根本的な問題は、若い骨董愛好家が不足していることです。
「戦争ですべてを失った沖縄には、現在は本当の骨董を扱っている店は少なく、ほとんどが昭和アンティークや雑貨に近いものになっています。
でも、僕は沖縄の骨董を次世代に残したい。だから、若い人に興味を持ってもらいたいんですね。骨董品に触れて、これが歴史のあるものなんだと実感してもらえれば、少しずつ好きな人が増えていくはずです。
これから先、あと何年続けられるかわかりませんが、次の世代にバトンタッチできるよう、少しずつ準備を進めていきたいですね」
壺屋の小さな骨董店から発信される金子さんの思い。それは、沖縄の伝統文化がいかに貴重で、そしていかに危機的状況にあるかを私たちに教えてくれます。
※次回のアンティーク市は6月13・14・15日(沖縄市産業交流センター)
https://www.instagram.com/kaneko0617koichi/
陶宝堂
- 住所 /
- 那覇市壺屋1-7-9 森山ビル1F
- TEL /
- 098-866-6661、2008
- 営業時間 /
- 10時〜19時
- 定休日 /
- なし
- Webサイト /
- https://www.touhoudou-okinawa.com/
沖縄CLIP編集部
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