「沖縄に魅了された写真家」垂見健吾

「沖縄に魅了された写真家」垂見健吾

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歴史文化

放送日:2025.10.06 ~2025.10.10

初回投稿日:2025.10.15
 最終更新日:2025.10.15

最終更新日:2025.10.15

「沖縄に魅了された写真家」垂見健吾 クリップする

沖縄を拠点に県内外で活動する南方写真師の垂見健吾さんが、初めて沖縄を訪れたのは1973年2月のこと。サトウキビ畑と真っ青な空を背景にモデルを撮影する広告の仕事でした。

爽快な写真を望まれての沖縄でしたが、2月の沖縄は雨季。毎日降り続く雨に悶々としながらも、夜は桜坂や栄町などの社交街で過ごし、ヒージャー(山羊)や泡盛といった、まるで異国の文化に触れる日々でした。

垂見健吾さん
「なんか、沖縄っていいなー。もっと知りたいなーと思って気づいたら50年経っちゃったよ」と垂見健吾さん

「ハイサイ」がつなぐ縁

その後、何度か沖縄を訪れて撮影しましたが、印象に残っているのは1982年の二度目。雑誌の特集で公設市場を訪れた時のことです。地元のアンマー(お母さん)が主役の市場を、買い物もせずカメラをぶら下げて歩く垂見さんでしたが、誰も写真を撮らせてくれません。

何度か足を運ぶうちに、ある肉屋のアンマーが声をかけてくれました。

「沖縄では挨拶はハイサイだよ。この言葉を使えば、沖縄の人は応えてくれるから」

それ以来、「ハイサイ」は垂見さんにとって大切な魔法の言葉になりました。

1980年代中頃になると、観光ガイドブックが次々と創刊されます。垂見さんも南西航空(現在のJTA)の機内誌『コーラルウェイ』のカメラマンとして、離島へ行く機会が増えました。

沖縄の原風景が残る離島は、垂見さんにとって新鮮で愛おしいものでした。ハイサイの挨拶と共に、自然や人、風習、祭事など、さまざまな被写体にシャッターを切りました。

 

南西航空(現在のJTA)の機内誌『コーラルウェイ』

『コーラルウェイ』の仕事を通して、垂見さんは沖縄にますますひかれていきます

垂見さんの活動50年の集大成、写真集『めくってもめくってもオキナワ』

垂見さんの活動50年の集大成、写真集『めくってもめくってもオキナワ』は、沖縄の記録資料としても、貴重な一冊です

 

『めくってもめくってもオキナワ』の一ページ
『めくってもめくってもオキナワ』の一ページ。垂見さんの明るい「ハイサイ」に、島の人たちはこんなに素敵な笑顔を向けてくれました

アナログの一眼レフで撮影したポジフィルムは垂見さんの宝物
アナログの一眼レフで撮影したポジフィルムは垂見さんの宝物です

鬼才の陶芸家の作品集に向けて

垂見さんは現在、1999年に亡くなった陶芸家・國吉清尚作品の写真集制作に取り組んでいます。このプロジェクトは、沖縄県内外に散らばる約50箇所のコレクターを訪ね、作品を一点一点撮影していくという壮大な試みです。

「どこに何があるかわからない状態からのスタートでした」と垂見さんは振り返ります。

美術品を送ってもらうことは困難なため、各地へ出向いて撮影を行っています。沖縄県内では壺屋の骨董店をはじめ約30箇所、さらに八重山諸島、東京、神奈川、神戸、姫路、広島、多治見、福島などにも足を運びました。

当初は撮影単位でデザインを依頼し、掲載する予定でしたが、制作を進める中で、作家の歩みや作品の背景をより深く伝えるためには構成を再考する必要があると感じ、方針を転換しました。

マネージャー兼アシスタントの名木野智子さんとともに、作品を年代別、アイテム別に整理し直しているところです。

「こうやってアナログ的にずらりと年代ごとに作品を並べると、國吉さんの心の変化が見えるようです。写真で記録するって大事なことだなと改めて思います」と名木野さんは語ります。

國吉作品の撮影に、故・國吉氏の妹、金城葉子さんが営む衣料店「ピクチャーズ ドア」を訪れました
國吉作品の撮影に、故・國吉氏の妹、金城葉子さんが営む衣料店「ピクチャーズ ドア」を訪れました


約15000カット、約1500作品にもおよぶ作品を、編集しながら並べ換える作業
約15000カット、約1500作品にもおよぶ作品を、編集しながら並べ替えていきます

 

マネージャー兼アシスタントの名木野智子さん
「こんなに素晴らしい陶芸家がいらしたのかと、作品と向き合うたびに心を揺さぶられ刺激をいただいています。垂見さんとのご縁から作品集作りに携わる事になり、この取り組みを通して多くの方々との出逢いに恵まれ、支えや力をいただきながら進めています」と名木野さん

オジィのTシャツを通して沖縄を発信

浮島通りにあるTシャツ店「琉球ぴらす」の翁長優子さんと垂見さんの出会いは、30年ほど前のこと。「ものづくりがしたい」という純粋な思いを持った翁長さんたちを応援したいと、事務所を間借りさせてあげたことが始まりでした。

「ブランド名を決める日、音楽をかけながら、オジィ(垂見さん)も一緒に相談していたんです。ひらがながいい、誰にでも覚えてもらえる名前を。半濁音より、ぱぴぷぺぽが入ったほうがかわいい。

そんな会話の中、下地勇さんの曲『ぴらす舟(フニー)』が流れてきました。ぴらすという、砂浜から海へ出ていく舟を意味するこの言葉にひかれました。

『琉球からぴらすを出す・世界へ発信する』という意味を込めたいと。垂見さんはすぐに下地さんに電話をかけてくれて、使用の許可も取ってくれたんですよ。

家庭にオジィがいるように、ぴらすにもオジィがいる。オジィはただいてくれるだけでいい、ぴらすの無責任最高顧問です(笑)」

垂見さんの膨大な写真ストックが、琉球ぴらすのデザインソースとなっています。それは単なる風景だけではなく、沖縄の自然崇拝や風俗など、沖縄の空気感を繊細に伝えるTシャツ。そこには、南方写真師としての沖縄への眼差しが色濃く反映されています。


水中から見上げた一枚。「そらとぶさかな」
水中から見上げた一枚。「そらとぶさかな」

浮島通りにあるTシャツ店「琉球ぴらす」の翁長優子さん

翁長優子さんは「オジィとの付き合いを振り返って、楽しい記憶しかないですね。オジィの周りにはいつも笑顔がありますね」

 

カメラを構える垂見さん
栄町ミートの店主に「ハイサイ!」 カメラを構える垂見さんを見た店主が「肉焼きましょうね」

垂見さんの胃袋 栄町市場と仲間たち

垂見さんにとって、商店や飲み屋、食堂がひしめく迷路のような栄町市場は胃袋的存在です。

中でも、創業50年、県内すべての泡盛酒造所の泡盛を揃え、古酒を世に知らしめた老舗居酒屋「うりずん」は、垂見さんにとって特別な場所です。

「今は亡き創業者の土屋實幸さんには、本当にいろいろなことを教えてもらいました。一緒に飲んで、遊んで、考えて、悩んで。兄貴みたいに慕っていましたよ」

当時のうりずんには、日本中の財界人や芸能人、陶芸家、スポーツ界の第一線で活躍する人たちが集まっていました。毎晩、酒を酌み交わしながら熱く議論する、豪快な場でした。そうした人たちに囲まれる土屋さんの隣で、垂見さんは勢いに乗って急成長する沖縄を見守り、記録し続けてきたのです。
 

栄町市場のうりずん

栄町市場のうりずん

店内には垂見さんと土屋さんの写真が飾られています

店内には垂見さんと土屋さんの写真が飾られています

 

毎月1回開催している模合

大宜味村の食堂「まぁぐすくや〜」の宮城光枝さんや紅型作家の賀川理英さんなど、垂見さんの仲間たちが毎月1回開催しているANPI模合。互いの状況を気遣う家族のような仲間たち

 

2025年に喜寿を迎えた垂見さん。現在も沖縄が発展する時代を記録してきた足跡と、自身の生きがいとして、沖縄を撮影し続けます。レンズ越しに見つめた島の記憶は、今日も積み重なっていくのです。

 

垂見健吾写真事務所

https://www.instagram.com/kengotarumi/

 

琉球ぴらす

https://www.ryukyu-piras.com/

沖縄CLIP編集部

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